そこ、行ってました。

でかけた場所を淡々とメモ。

僕は勉強の他もできない

 夏の入道雲が立ち上る7月末。多分、もう夏休みの宿題を終えた小学生はいると思う。一方で「8月から本気だす」と開き直る生徒もいるころ。僕はもちろん後者だった。より正確に言えば「夏休みの友」的な、カラーで薄い1学期のおさらいワークブックは本当に3日ぐらいで終わらせていたのだけれど、その後の延々続く国語の漢字地獄、算数のドリル地獄に苦しむ毎日。スタートダッシュっぽいものをなまじ駆けているものだから、その後のダレ方もひどかった。でも、そのあたりは半ば作業だったからまだ楽だった。
 そう、夏休みの後半はとにかくクリエイティブ系の課題に苦しめられた。その三巨塔が「読書感想文」「図画工作」「新聞」である。(自由研究は毎年適当に時刻表で旅行計画を地理と絡めながら提出していたからそれほど苦じゃなかった)今でこそ、Weblogなどを気ままに書くようになったが、当時の僕は表現したいことがあっても、それに表現力と論理構成が追いつかなかった。例えば、ある年城崎に行った時のこと。


「食べて、遊んで、寝ました。」
 僕にとっては食べたことも遊んだことも寝たことも重大事件だった。夕食には海の傍らしく魚介を中心とした絢爛豪華な食事が出たし、その後ベッドのスプリングが絶妙だったので、飽きずにジャンプし続けた。そして、足が痙攣して30分ほど足を真っ直ぐにして眠ることができなかった。本当はその一挙手一投足さえ、具に追いたかったのだ。でも、できなかった。新聞はA3かB3の大きさしかなかったし、もちろん手書きだからそう量も書けない。だからといって、それらの経験を捨てるのも惜しい。そして、思い余った結果が「食べて、遊んで、寝ました。」だった。


 今もって図工は苦手だから、それは置いておくが、「新聞」「読書感想文」は今なら割とレベルの高いものが出来る。そりゃそうだろう、と思われるかも知れないが、少なくとも今作れ、と言われれば、やや肩の力を抜きつつ、楽しんで出来るのではないかと思うのだ。例えば「ビヤホールで喉を潤す:夏の陽射しが照りつけ、各地で猛暑日を記録した今日8月10日、滋賀県在住の筆者は高校時代の友人とともに中之島ビヤホールへ出かけ、1ヶ月ぶりにあった友人たちと交友を深めながら、美味しいビールに舌鼓を打った。この日のために年休を2時間も取った、と語る筆者は……」
 なぜこんなにも昔は苦しんだのかと考えると、ひとつは「新聞」「読書感想文」なるものがよくわかっていなかったから、という原因が考えられる。すなわち、ひとことに「新聞」「読書感想文」と言われても何をしていいのかがわからないというわけだ。「自分の生活を書けばいい」「本を読んで思ったことを書けばいい」とアドヴァイスがあったとして、それが何の助けになるというのか。自分の生活なんて、別に真新しいことをしたわけでもないし、それをふくらませて書くのは難しい。そも
そも「犬が人を噛んでも普通だが、人が犬を噛んだらニュースになる」と言われている中、自分の普段をニュースとして伝えるのは、大人でも骨の折れることではないだろうか。例えば「筆者、普段通り出勤:朝から雲ひとつない晴天に恵まれた今朝7:30、滋賀県在住の筆者は普段通り出勤した。途中、軽乗用車のドライビングスクールに苦しめられながらも中間地点を8時とまずまずの時間で過ぎたが……」勢い、旅行の話ぐらいしかすることがなくなる。


 読書感想文にしても同様である。思えば、本を読んでの感想などそれなりの数本を読まないと、全く捉えにくいものである。小学生が小説を読んで、その心境に触れながらこう思いました、と書くのは実はかなりのムチャぶりではないかと思う。まず本選びがかなり難しい。『失楽園』『東京島』『僕は勉強ができない』などの男女の複雑な絡みがある話はまず無理だし、『哀愁の町に霧が降るのだ』の青春随想ものも厳しい。『シャングリ・ラ』や『今夜は眠れない』といった同年代が活躍する作品なら何とか手に取れそうな気もするが、今度はあらすじを捉えて的確に感想を書くのが難しい。実は物語の感想文はとんでもなくハードモードではないかと思ったのだ。小学生の感想文ならせいぜい夢のクレヨン王国あたりが妥当なところだろう。


 そこで、著作権フリーの読書感想文http://www2k.biglobe.ne.jp/~onda/を読んで、まず衝撃だった。時刻表や新書の読書感想文がこんなにもおもしろいとは。小学生の文書力と発想力だとむしろこういう形を目指すほうが面白い文章が書けるのではないかと思うのだ。手に取るまでの動機が書きやすいし、読んでいても小説よりかは、現実的な興味の取っ掛かりを武器に理解もしやすいし、それこそ読後の感想と行動に繋げやすいだろう。例えば「鈴木宗男『政治の修羅場』を読んで:東日本大震災が起き、その後の原発処理が遅々として進まない。父はテレビのニュースを見るたびに、民主党が悪いと言うばかりで、僕もそういうものなのかと思っていた。そんな時、書店の新書コーナーでこの本を見かけ、かつて鈴木宗男という悪い政治家がいたことを思い出した。しかし、悪い政治家と言ってもいったい何が悪いのか、きちんと理解していないことに気づいた……」
 興味があるから手にとった、そして読んだら違っていた、というラインを論説は作りやすい。ちなみに、もっともうまいやり方は身近なテーマで選ぶことだ。例えば「椎名誠『活字のサーカス』を読んで:僕は本が嫌いだ。読むのに疲れるし、まだこんなにあるのか……と思うとうんざりするからだ。だから、楽しく本が読める人が信じられなかったが、僕の知らないことをよく知っているようで、それは少しうらましかった。そんな話を父にすると「じゃあ、本を読むことが好きな人の本を読めば、読みたくなるかもしれないぞ」と言われ、椎名誠の『活字のサーカス』という本を渡された……」


 このように「今そこにある危機」を題材に書けば、身の上に起こっていることだからかなり熱が入る。熱が入った文はそれだけで、何かの必死さを感じ、面白くなるものだ。読書感想文もこういう文で書いてくれればいいと指導してもいいと思うのだけれど、そもそもこれも書き方を教えてくれないから、何を書いていいのかわからないのだ。いきおい滑る。


 ともあれ、夏休みの宿題は今が一番ダレる時期である。こんな時期こそおもいっきり遊んで、書きたいネタ・やりたいネタを増やすのが、クリエイティブ系の攻略法ではないかと思う。
 ま、もし時間があれば著作権フリーの読書感想文、私も書いてみよう。今なら面白い文章が書ける
気がするし、少しワクワクする。というより、ワクワクしない宿題をさせる、ってやっぱり単なる苦痛だよなあ・・・