そこ、行ってました。

でかけた場所を淡々とメモ。

徐々に明らかにするレポートそのⅡ。

起床は4時半。あたりはまだ暗く、体も動きがよくない。果たしてこんな体で走れるんだろうかと不安なまま飯へ。朝飯もまた多かった。少し残してしまうがまあ、いい感じに腹は膨れた。部屋に戻って準備体操を軽く行う。でも、体はいい感じではとてもない。
6:30ぐらいに宿を出て歩いてスタート地点に向かう。外は霧が掛かっていた、そしてものすごく寒い。後からわかったことであるがこの日の最低気温はなんとマイナス0.5度だったのである。ふいーさびー
1kmほど歩いてスタート地点に到着。軽く下準備をした後にここで一計を案じた。昨日買っておいたウィダインを半分ほど飲んで残りをもっていくことにするのだ。こうすると重量感をあまり感じることなく食料を持っていける。そのほかグリコーゲンを一本持っていく。土産センターの2階に荷物を置いていよいよ出陣。軽くアップをかけると意外に体の動きがいい。もしかしたらこれは完走出来るかもしれない。
スタート地点に並びにいくと、これはもう大変。人の量が半端ではない。何とか真ん中あたりの位置に割り込んで入り、スタート位置をキープした。大会委員長やらの話が終わったあと、ついにカントリーの番が来た。しかし俺のいる位置からは見えない。ただ、「がんばってくださいね〜」と言われ、俺は「今日はカントリーのためにがんばる」と固く心に誓ったのでした(爆

そして7:45。ついに号砲。・・・したのだが前の混雑が激しくスタートして後まったく進めない。ほんとにスタートしたんかいな・・・と思っているとようやく前が動き出した。とりあえず、歩けるところは歩いていこうと考える。スタート線を跨ぐところでようやく走った。スターターにはカントリーがいたのでレスをもらおうと必死でがっついた。が、レスはもらえなかった_| ̄|○
まあ、スタートしたからには覚悟を決めて走る。先輩にとりあえず、4時間切るペースで走ればちょうど良いといわれたので、大体5kmを30分で走るペースを守っていくことにした。走り出した直後はとにかく人が多いなと感じた。最初の1kmでペースを考えるかと思っていたのだが1kmがなかなかわからない。とりあえず、人と同じペースで走るかと考え周りのペースを同じような感じで走った。折り返しが約2km地点にあると聞いていたのでそこでタイムを確認すると13分を経過していた。ちょっと遅いペースである。せめていける限り1km6分のペースを守りたかったので、ややペースを上げて走ることにする。そして、メイン通りからいよいよ河口湖周回コースに入る左カーブ通過10数m前でカーブの外でカントリーが再び手を振っていた。しかし、スピードに思考が及ばずまたも大きくアピることぐらいしかできなかった。バランスを崩しコケかける。しかし、やはりレスはもらえなかったorz
通過して俺はしきりに悔やみながら走った。「ああ、あの時もう少し外側を走っていれば・・・手を出しながら走ってハイタッチをもらうことぐらいできただろうに・・・もしかしたら、ドサクサでニギニギできたかもしれなかったのに・・・」もう後悔しても遅い。とりあえず、次このチャンスがあれば絶対に失わないぞと決心する。しかし、結論から言ってしまえば、そのチャンスは2度とは訪れなかったのである。
それでも前に走り続けるしかない。それがマラソンと言う戦いである。6km付近を過ぎたあたりで最初の給水所を見つける。今回一つ楽しみにしていたのが給水場である。いったいどんな感じで取れるのであろうかと言うのが気になっていたのだ。しかし、走りながら水を飲むというのはかなり大変なことであった。まずこぼれる。まともに飲めるものじゃない。で、量はそんなにいらない。飲みきれず、少しは捨てた。
周回コースなので40kmポストなどもコース上にはある。40kmポストとか、あと4kmポストとかを横目に見ながら果たして俺はこれを見ることができるんだろうか・・・などと考える。10kmを56分ほどで通過。いいペースで走れている。それにまだ足も疲れた感はない。もしかしたら、4時間切れるかもとやや調子に乗りながら進む。いつの間にか1時間走り続けているではないか。もう一度大通りに戻ってきてそのまま、河口湖大橋をわたる。次周のここは第一関門地点だ。通過できるようにがんばろう。橋上の道は足に吸い付くような感じで走りづらい。橋を渡ってなおも走る。とここで、わずかばかり左の大腿部が痛くなってきた。
「やっぱりな〜」とは思ったものの走り続けるしかなかろう。走り続けないとむしろ痛みが出そうだ。ウィダインを採りつつ先へ。ここで、大豆ペプチドが入っていると言う粉を持ってきたので飲んでみた。顆粒タイプであったのが大きなウイークポイントであった。口の水分がとられていく・・・慌ててウィダインを流し込んだ。しかし、喉にも流してしまったので、喉にも残った。喉が焼けるようにいたい。ゴホゴホと咳き込む。余計な体力を使ってしまった。
河口湖の外周をただひた走る。14km付近。このまま走ると左足が攣るなと思い、一度立ち止まり屈伸運動を行う。何とか足を持たせなければ。まだ、先は長いぞ。騙し騙し走っていると18km付近、流石薬局と言う薬局を見つけた。流石だな、兄者。フッ、よせやい弟者。
このあたりで今の自分のペースと同じくらいで走る人を見つけた。よし、この人をペースメーカーにしよう。20km。先ほどから考えるとがばっとペースの落ちた感があるが、それでも10km1時間のペースは守れていた。なるほど、このペースで走ればいいんだな。中間点を過ぎて足取りも軽くなる。あと半分以下なのだ。しかし、脚の疲れは蓄積されてきて、どんどん足が重くなってきた。ここで、グリコーゲンを投入。とにかく足が攣らないようにする。攣ったら負けだ。23km付近でトップの選手に抜かれた。周回コースゆえによく起こることだが、トップ、オンベチェ・モカンバの走りがはねるようなかんじで正直凹んだ。自分は既に動かすことがやっとであるから。するとここでペースメーカーがリタイヤしてしまった。ああ、これで再び一人旅。あと4km、あと3kmの看板か恨めしい。さて、あと一周か。
再び大通に戻ってきて河口湖大橋をわたる。DEADライン(交通規制の影響からか、レースに制限時間が設けられている)との差は1時間ほどあり、あと一周脚を壊さない限り逃げ切れるであろう。二周目の橋。次の給水所が待ち遠しい。しかし、脚が可笑しくなってきた。30km手前。給水場に着く。歩きながら給水を受け取り飲む。そして走り出そうとしたとき。ズキューンと痛みが。
ついに来たかあ。思わず立ち止まりたくなるくらいの痛み。でも、ここで止まったらまず間違いなく感想は無理であろう。我慢してジョグのペースで走っていくと、少しづつ気にならなくなった。どんどん人に抜かれるがかまやしない。大事なのは俺のペースと感想である。
34km付近で突然頭の中に「直感〜時として恋は〜」が流れ出した。
「そうだそうだそうだまったくそうだそうだそうだまったくそうだそうだそうだまったくその通り( ゚д゚)ハッ!・・・」
何故か曲にのり、俄然ペースが速くなった。しかし、続いたのは曲の長さ分5分ほど。すぐにペースが戻り麻薬は切れてしまいその後遺症が出てきた。先ほどよりきつい。36km付近、ついに歩いては走り、走っては歩きと言う悪あがき状態になった。ただもう5km程だ。これこそもう意地の張り合いである。勝つのは根性か怠慢か。負けてたまるか
残り4km。残り4kの看板には「残り4(( `_ゝ´)フォォー)」と某同志社大出身の芸人の持ちネタが書かれていたので俺も気合を入れるために「残り4kmバッチコーイ!」と叫んで走る。がすぐに止まる。ひたすら前へ前へ。それしかできないのである。脚が痛い。正直息が止まりそうなぐらい痛い。右はまだ何とか動く。左はもはや意思を持たずに右について行っているだけである。もうずっと前から足は痺れている。油断をすればその瞬間脚は痙攣を起こし一歩も歩けなくなるであろう。だましだましの前行は続いた。
40km関門を44分ほどつけ突破し、そして残り2km。看板には「武道館のサライが聞こえてきました」だって。でも、なんだか涙が出てきた。もうすぐで約4時間半のドラマも終わる。大通りに出てきた。沢山の沿道の人だ。そういえば、色々なところで励ましを受けた。俺一人じゃ間違いなく走れなかっただろう。ゴールするとき中国電力佐藤敦之選手のように振り返って礼をしようと心に決める。残り1km。「来年も河口湖でお会いしましょう。」
もちろん。最後のカーブを曲がってスタート地点まで湖岸を走る。流れてきたのは永井真理子の「ファイト!」だ。
「青春なんて息もつけずにあっさり負けるボクサーみたいよ夜空のリング相手は自分(ファイト!)もう一度ファイト戦うべきね思いっきり」
思いっきり最後の道に力をぶつける。そして、
「4時間48分22秒」
俺はこの時間を忘れない。初マラソン、完走タイム。スタートから4時間48分22秒後。ゴールを駆け抜けた。正直一礼することをすっかり忘れていた。走り終えた瞬間脚はぜんぜん痛くなかった。靴紐を解き計測用のチップを返す。そうして受け取ったり、完走Tシャツ。サークル内での順位は4位だった。完走証をもらっていると後ろから先輩に声をかけられた。先輩は3時間50分ほどだったらしい。流石、やはりこれがトレーニングをしているかどうかの差なのだろう。思ったことは、来年こそはもっとしっかりトレーニングして走ってやろうと言うことだ。もっと競いたい、もっと勝負したい、もっと楽しみたい。そう思ったのである。しかし、まずは完走を喜び、勝利の豚汁を飲んだ。