そこ、行ってました。

でかけた場所を淡々とメモ。

決意

 今まで属していたあるコミュニティを脱する決意をした。自分からむざむざ切ることもないだろうと思っていたし、2日前まではどうやって続けるかどうかを考えていた。でもね、疲れた。何だか、そこには無理をする自分がいる。果たして自分がそこに必要なのかを考えた時、必要とはされているのかもしれないが、その必要に自分が耐えられない気がする。少なくとも相手の要求ほどには今は動く自信がない。義務とされていることでさえ、自分は遂行することが出来なさそうだから。それは、具体的にも抽象的にも分かった。


 実際のところそのコミュニティでやることよりも自分がやりたいことは多い。そして、そのままそこに居続けることの方が相手にとって迷惑な気がした。義務さえ守れないのだ。相手の期待を無駄に煽るようなら、自分がそれに応えられなさそうなら、素直に無理だといった方がいいだろう。これは、今の仕事をやってて感じたこと。そして、俺は無理だ。


 「出来ないと言うな」と言ったのは夏まゆみだったと思うが、俺はそうは思わない。出来ないことはあるし、できない時もある。人間、おそらく魂の無理よりも体の無理はきくだろうが、体の無理まで行くと、心がその無理を越えてしまっておかしくなるんじゃないかと思う。だから、時には無理と思うことも大切なのだ。これは、俺のみならず、みんなに聞いてほしいこと。


 「もっと、自己中に生きてもいいんだよ」


 みんな、自己中心的って言葉間違ってるよ。自己中心的ってのは自分を中心にした考え方。ただ、それだけ。そこには我が儘じゃなくて「我がまま」という言葉がある。みんなmy Paceなんて英語を使って誤魔化してるけどね。そこにあるものは「我がまま」。決して我が儘に歩くことではない。つまり思ったのは、自分がいい気分であれるように生きればいいじゃない。そこに想像力さえあれば、自己中であれることなどいくらでも可能。


 誤解しないでもらいたいのは、まずは想像力。それのないやつには自己中をする価値はないよ。想像力がないって言うのは人間に非ずと言うのは昨日言ったと思うんだけれど、人間でないものに自己なんてものはないから、それは自己中ではない。ただ、置かれている“モノ”の害行為だ。想像力があれば、自然と良い「我がまま」も出来るはず。それが、「最大多数の最大幸福」