そこ、行ってました。

でかけた場所を淡々とメモ。

リージョナルアナトミー論G

 まずは、今期の目玉リージョナルアナトミー論の纏めから。適当に箇条書き。まあ自分用なので、他の人はすっ飛ばしてarabicとかdiaryとかを読んでくだせえ。

・・・自分の場所を見渡せる位置。「あなたがたがどこを向いてもアッラーの御前にある」いうなれば、そこになる全てがアッラーで僕らはアッラーに囲まれているのか。目の前にいるアッラー。それはいつ何時も。「アッラーは全てをお見通し」ってよく言われる言葉だけど、やはり、全てを神wは見逃しはしない。

  • そして、神は生を授けるだけでなく、死をも授ける

また自分の元へと返すのである。もし、世界の大枠、宇宙の枠から抜け出してそこに行くことができればこの現世からは逃れられるわけで。でも、日本人は身近なところに神を求めようとするから外の大枠に気づかず、宇宙の外へ行くことなく現世をぐるぐる回るだけになってしまうのである。突き抜けられないのである。

  • 神について考えることは・・

ビックバンの向こう側に思いを馳せること。僕らはそこからやってきて、そこへ帰っていくことになっている。إن شاع الله。

そこに神がいると思ってしまうのである。それが神であると囚われてしまうのである。すると、何に従うか、どこまで自由なのかがぜんぜん分からなくなる。また、何が神かが見えなくなる。それが多神教を引きずるなということ。


「今、私はあなたの恵みによって食べることができました。あなたはすべてを聞き、全てを知っている御方ですね」
アッラー以外には神はいない、ムハンマドはその使徒なり」