そこ、行ってました。

でかけた場所を淡々とメモ。

本来のthinkネタはこっち。物に対する執着。

TBS番組でオリラジ藤森がゲストのビックリマンシールを破損


 色々とこれ考えさせられたんだけどさ、まあ、最初はコレクター側に立ってたんよ。俺はね。まあ、昔コレクターだったってのもあるし、オリエンタルラジオが吐き気がするくらい嫌い(これもカットだよ、カット)まあ、そもそも素人を悪意に弄るでしか笑いを取れないのなら辞めちまえって思うし、そんなこんなでコレクターに対する扱いが酷いよなっと思ったわけだ。しかし、よくよく考えて気分が変わった。それはやはりأستاذ كمالがよくおっしゃっている言葉に端を発する。それは「現世のものに執着しては『目に見えないもの』や『宇宙の摂理』といった本当に大切な問題を見過ごしてしまう」という言葉である。コレクターというのは現世にあるものを挙って集めようとすることであると同意に近いからまさしくこれは現世のものに踊らされているということではないか。だとするのなら、そもそもこんなところにコレクターというのは自慢げな顔をして出てくる事自体、イスラーム的にはダメなことなのではないかと思う。まあ、そう考えてみると途端に日本人って近視だよな〜って改めて思う。要は、目に見えるものに執着して、というかそれしか見えなくて、大いなる流れというものがまったく見えないのだから。ある意味、不幸とも言う。多分、死んだ後またこの現世で死とか、苦しみとかに怯えて暮らさなければならないんだろうなあと思うのである。特に日本ってそういう「モノ」に執着する人が多いし。


 しかし、そう考えてみるとイスラームな方々は「モノ」にはまったく無頓着なんだろうか。そんなことも無いと思う。そりゃ、より美味しいものを食べたいだろうし、より綺麗なものになりたいだろうと思うのだ。いや、そうではないといわれるかもしれないが。まあ、しかしむしろその方が、疑問が解決してありがたいわけだが。そして、物に関して拘る事は――そもそも、石油王は挙ってブランド品と買い漁っているじゃないか・・・尤も、أستاذ كمالが仰ることには『あれは、ダメなムスリム』ということらしいが。――それは現世への執着として、あまり喜ばしくないことなんだろうか。だったら、物のクオリティーそのものが無くなってしまいはしないだろうか。だって、良い物を作る必要が無いのだから。なのにだ。現実的にはアレッポ石鹸一つをとってみても1kg90SPのものから425SPのものまで揃っている。もし、クオリティーについて兎や角言わなければ、1種類作れば済む話なのだ。なのに、現実には大きな隔たりがある。これはいったいどういうことなのだろう。物への執着なのだろうか、はたまたそれとは違ってこれは大丈夫なのだろうか。でも、そうなるとクオリティーがまったく発達しないことになる。それはそれでいいのだろうか。まるで、現世を投げているような気がする。それはそれでいいのだろうか?この「現世への執着」問題は今後も、物に関する事件があるたびに考えていきたいと思う。とりあえず、「いいものはいい」のか、「物にはこだわらない」のか。イスラーム、考えれば考えるほど面白い・・・とりあえず、コレクターって居そうな気がしないな。なんかイスラーム関連の品物(よく考えればこれも偶像崇拝の一種と認定されてやばいんじゃ・・・?)を集めてそうな石油王は居そうだけど、骨董に興味がありますとか掛け軸に興味がありますとか世界的おもちゃコレクターですとかはいなさそう。そこはちゃんとムスリムなんだと思う。


 まあこうやってイスラーム的な見地から滔々と語ってきたわけですが、ここまではコレクターの話でした。オリエンタルラジオとP/Dにもちょっと話しつけとこ。残念ながら、つまらない。それは笑いにはならないなあ。それに、シールを服に張ったからといって特に面白くも無い。不愉快に何故なるかといわれれば、無駄な時間を取らせたから。まあ、辞めたほうがいいんじゃない?双方共に。「つまらない」のですから。