そこ、行ってました。

でかけた場所を淡々とメモ。

アレッポの今日は雨だった

 皆さん、お久しぶりでございます。أنورです。いまや、シリアに着きまして、はや4日。明日からはいよいよ、本格的に授業も始まります。今年は、去年よりずいぶん成長して、臨めている感じです。


 アレッポに着いて、モロッコ時代が懐かしく思い出されるわけですが、一つ大きく思うことは、人が段違いに優しいなあということです。モロッコでは、それほど人との交流もなかったというのも大きかったのですが、人の優しさとか、温かさにあまり触れることができなかったというのが、正直な感想です。とはいえ、よく考えてみるとモロッコは今回が初訪問なので、そりゃうまく話が進まないのは当たり前だろうと思えます。モロッコはお互いがいるということを確認したぐらいなのではないでしょうか。


 一方で、アレッポの訪問は私は今回が3回目。やっぱり、いつ来ても人が優しい。通りにいる人に声をかけると、たいてい「أهلا!」と、帰ってきます。社交辞令でも、本当の敵にはなかなかこうはいえないでしょう。


 今回は新たに後輩も出来、それが結構な刺激になっています。やっぱり先輩として、無様な格好は見せられないでしょう。そういう自覚が少しずつ出てきて、それはすごいいいことかなあと思っています。やっぱり、相手の言うことがわからないというのは残念ですからね。なので、今回はそれをうまく生かして勉強を進めれたらなあと思います。


 最近強く思うことは「この当たり前が成立するためには、自分が愛されていればこそだなあ」ということです。今、私はアレッポの市内ど真ん中のネットカフェにいるんですが、ここにいることを2年前に想像できたかといわれれば、まったく予測不可能でした。でも、今やここにいる現実があって、それがしかも当たり前だと思ってしまう。しかし、その当たり前はじつは単なるある瞬間の数珠繋ぎでしかなくて、その数珠繋ぎが成立しているのは周りのみんなが、私を思いやり、愛しているからこそなんだと思います。そんな、不安定な安定の中に私は立っていて、それを当たり前だと感じてしまう。それは当たり前なんだけれど、だからと言ってそれを「当たり前」の一言で片付けてはいけなくて、そんな不安定さの中、いつも周りに愛されているから、そこの中で安定していられるんだ。ということを常に感じていかねばならないんだと思いました。


 だから、今この瞬間が一番幸せです。仮令、特定の人の確かに感じられる行動から伝わるものを感じられなくても。そんな、確かな行動に人間はとらわれやすいのだけれど、それは本当に敵で、常にある周りからの愛を忘れてしまう。それではいけない。特定な行動に現れなくても、自分は愛されているのだと、常に思いながらやっていかねばならないなと思います。


 明日からは、後半戦ですがこんな思いのまま、飛び込んでいって優しい気持ちでありながら終われると何よりだなあと思います。


 ・・・これ、やっぱり日記に書くべきことじゃなかったかも。