そこ、行ってました。

でかけた場所を淡々とメモ。

今くらいの気温がちょうどいい

※今日から少し文体を変えます。


 今ぐらいの時期の気温がちょうどいい。暑くもなく、寒くもなく。例年、この時期は調子よくいく時期なのだが、それはこの気温のせいかもしれない。それでも、今研究室に蚊がいたのだが。


 いよいよ、修士試験の願書提出まで4日ぐらいになって、いささか大変な時期にさしかかってきたのだが、ここでエンジンを入れなおせるかどうかが、勝負の分かれ目という気がする。しかし、水曜からほとんど夜に眠ることができない。今日は銭湯に行きリフレッシュを図ったのだが、体に残るべっとりとした疲れは完全には拭えなかった。


 4日前くらいに日本に招聘する学生の会議をしていて、何人呼ぶかで議論が平行線をたどっていた。予算的には次を一人を呼ぶ体力は無かったのだが、主に4年生が強固に彼の招聘を希望した。よく考えれば、4年、3年と分けて議論をしたことってほとんどなかったような気がする。


 全く関係がないのだけれど、私自身は今親に出してもらっているお金は一種の奨学金だと考えている。最終的には、親に何らかの形で還元することが人間として必要なんだろう。と考えると、少なくとも説明責任が生じる。安直に親に出してもらっている身分で云々などというけれど、親に出してもらうお金と、各審査機関に出してもらうお金。もちろん、後者には前者以上のシビアーさが見いだされるが、だから前者は自由か、ただもらっているだけなのか、親だからもらえるのか、と考えるとそうではなかろう。それにも、ちゃんと見合う活動が必要なのである。だから、本質として同じだなと思っている。


 僕がイライラしたのはその部分で、お金を出す人がいなくなれば、芸術も学問もストップしてしまう。もらったお金を還元することに、何が無駄だと言うか。親に出してもらうにせよ、自分のお金を出すにせよ、自分が能動行為を他人に対して要求しているのだから、そこに甘えは無いはず。安易にお金出せるよって言った訳ではない。その理由は行動で示した。まあ、そんなことを考える人もいると、俺は余裕を持って受け止める必要があるんだろうな。最終的には。