そこ、行ってました。

でかけた場所を淡々とメモ。

結論言われた。

そして何より伝えたかったのは、私のような隠れ最悪人間にも、最悪人間なりの「希望」の持ち方を教えてくれるものがあったということ。そういうものに私は大学で出会うことが出来て、その出会いを少しでもお裾分けしたいと思ってこの作品を書いた。
(中略)
物事を乗り越えるとはきっとそういうことなんだろうと思います。悪いところが全部なくなって完全に清潔な存在になんてなれない。自分の汚いところを受け止めて、それでも生きようとするところに意味があるんだろうと思います。
-amalの日記「真・卒論あとがき」

 要はそういうこと。付け加えると、仮に自分が「隠れ最悪人間」だとしても、それでも愛してくれている、大切にしてくれている存在はいるということ。それを忘れちゃいかん。パンドラの箱から希望だけは決して逃げてはいかない。


 自分を完全に清潔な存在だと錯覚することもできる。見ないようにすることもできる。でも、それ以上に必要なのは自分をすべて認めて、それでも前向きに生きていこうとするところ。でなきゃ、恋愛よりも「萌え」の方がエコだよ。