そこ、行ってました。

でかけた場所を淡々とメモ。

吠え面をかかせるの例に『国性爺合戦』が使われている広辞苑

 「海賊=水軍による対抗」という見方は、もはや間違いないなという考えに至る。少なくとも、裏でえげつないことしているのは、いつも欧米だろうと、私はいつも欧米を嫌っているわけです。ステラーカイギュウもリョコウバトも、絶滅に追い込んだ者は彼ら。その上、IWC捕鯨に強固に反対するのも彼ら。彼らには中庸という言葉がないのだろうか。自らに反駁する者は全て敵で、おまけに第三者に対して、自らの敵こそが諸悪であるかのように巧みに述べる彼ら。何も知らない、知ろうとしない者は彼らの言説を鵜呑みにしてしまう。


 ソマリアの海賊問題を見ていて、もともと水軍による列強への対抗だろうと思っていたのだけれど、そうだなと思う反面、彼らを水軍から武装勢力にしてしまったものは何か、などと考える。私は私で、海賊に対して、明らかな肩入れをしているのだけれど。中庸という視点には立ちつつも、どちらかといえば、反欧米主義、反欧米規範に立ってしまう私は、やはり少し変なのかもしれない。


 珠に瑕……もっとも、自身のことを珠なんて烏滸がましいにも程があるが……といえば、過激すぎる意見のせいだろう。今日、奨学金の採択動向が発表されて、私の研究は不採択だった。まあ、研究の意義をはっきり述べられなかったからだろうが……特段、お金に困っているわけではない。問題は、取ろうと思っていたものが落選したそこにあるのであって、どうしても昨年の就職活動の頃を思い出される。やはり、思うことは……不要なのかな……ということ。仮に伝える方法に問題があるとすれば、それはそれで自分の弱点を再発見させられ、結果として、1年間は何のためにあったのかと考えてしまう。人に伝えることが何も進化していないという気がする。


 とはいえ、敢えて前向きに考えてみると、彼らでさえ、わからないことをやっているのだ。という想いと、彼らにへつらわず、彼らとは無関係に研究を進められるということだ。別に、金銭面では糊口を凌ぐような生活をしているわけではないし、物理的問題は何もない。


 悔やむべきは一点。自分の伝える能力のなさ。わかった。採択者の目が、その裏側にあるものも理解できない、fusianasanであることを示すのみ。