そこ、行ってました。

でかけた場所を淡々とメモ。

I'll be back.

 お久しぶりです。


 「ここでは、割と長文のネタを書く」と言っては、気づけばもう3ヶ月ほど経過していました。短いようで、なかなか過ぎ去っていましたね。うむむ。


 さて、近況というよりかは、今後の宣言として少し書いておきます。


 修士論文のテーマなんですが、卒論と同じく「萌え」を扱うことになりました。トルクメニスタンの独裁体制を追うとしてみたり、独裁そのものをみるということも言っていたんですが、結果的に舞い戻ってきたというか、やはり初期テーマへと回帰してきたというか、そういった感じです。ちなみに、今のところ、この変更を知っているのは4人のみです。ほほほ。


 その理由としては、トルクメニスタンの資料があまりに集まらないことと、私がやることの意義というのがいまいち見いだせなかったという面にあります。私がトルクメニスタンをやらなければならないというのに対して、随一にいえる理由がなかったんですね。逆に、「萌え」について言えば、卒論でまとめた実績もあるし、これまでの自分の経験などを踏まえつつ言えることが多い。


 例えば、それが究極的には個人主義的な信仰に結びついている、などとはなかなか言われていないわけで、(というか、信仰との絡みで書いた人って本田透ぐらいしかいないんじゃないだろうか。若者文化や表現技法、社会学的に書きまとめた者はいくつかあるやもしれんが)その点に関しては、私自身が気づいて言えることって色々あるのではと思っています。そういった点で改めて焼き直す必要はあるのではないかと。それに、卒論は結構荒いし、いささか手を広げすぎた面も否めないし。


 そこで、卒論の焼き直しをする……というと縮小再生産に見えてしまいしまいますが、理論をしっかり立てて、卒論の内容をより強固にし、様々なアプローチが出来るように修正してもいいのではないかと思うのです。そこで、これは作らねばならないという立ち位置にいるわけです。これまでの論では、決して学術論文として取り上げられるレベルではなかったわけですから。それに耐えられるぐらいの、つまり修士論文として成立できるレベルまでは持っていくということが必要。というわけです。


 その内容としては、主に3点。

  1. 社会学的な見地から「萌え」現象を追う。(特に、ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』やJ.F.リオタールの『ポストモダンの条件』は従来の識者も取り上げており、その確認や先行研究を確認する意味で)
  2. 日本の歴史(特に明治以降)を追って、どうして「萌え」が台頭せざるを得なかったか、をもう少し精密にまとめる。
  3. 萌えコンテンツの起源について、いくつかの論文では取り上げられているので、こちらでもいくつかの代表例を取り上げて、下部組織から「萌え」を捉え直す。(例えば、柳田國男が著した膨大な著作の中に『妹の力』(いものちから)や『巫女考』といった著作もある。また、手塚を「萌え」の起源と捉えるものなど数々見られるが、私自身は萬葉集以来、見られるのではないかと思っている)


 以下、覚え書き

  • しかし、私が研修対象としているのはあくまで「萌え」の宗教社会学的言説を捉えることや、それがどうして特に日本で台頭してきたか、であって、OTAKUやアイドル、アニメといった詳細なコンテンツについての言説を大きく取り上げるつもりはない。
  • 問題意識としては、戦後しばらくして起きた核家族化が「権威主義家族」(cf.エマニュエル・トッド)を破壊し、そればかりか一気に個人主義が広がり「個」として立たざるを得なくなった人々が、結果的に「萌え」にならざるを得なかったわけだが、それがもたらした弊害もやはり大きかったのではないかと思っている。すなわち、「萌え」が「個」として立たざるを得なくなった人々を、さらなる孤立化へと導いたのではないか、という仮説である。これは、卒論の時点でも触れているが、これをもう少し学問的に追ってみたい。
  • 「萌えとは最も身近な信仰である」という定義がはっきり出来ているのは大きく◯だが、それがいまいち納得出来るような論理構造で説明されているとは思えない。ここの部分の風通しを行うべき。
  • もっと卑近なところで、問題意識を書いてみるならば、2つあって、ひとつは「萌え萌え」言っている人々が本当に「萌え」についてわかっているのか、という危惧。別に、分かる必要なんて微塵もないけれど、かといって何も知らずに使っていて疑問はないのかなという疑問。概念的に言えば、『「萌え」萌え』なのではないかと思っている。そして『「萌え」萌え』である人々は、まさに手段であるはずの「萌え」が目的化している典型的な現れではないかと考える。
  • もうひとつの問題意識は「萌え」が忘れ去られつつある点。せっかく、現代日本のいい問題として取り上げられつつあったのに、このまま消えてしまえば、今までの問題意識も雲散霧消してしまう。それではひどくまずいので、ここで「萌え」の社会学的な意味と、宗教学的な意味、さらには日本の宗教史を語る上での論点をまとめておかねばと思う。