そこ、行ってました。

でかけた場所を淡々とメモ。

母さん,今僕はラバトにいます

 ブラックアフリカではない地中海の国だから、いまいちアフリカという心象を受けないのですが、それにしても今私はアフリカの大地の上に立っているわけで,アトラス(地図帳)のアフリカのページの左上に立っていてということらしい。本当か?本当にここはアフリカか?それでも、ここはアフリカです。


 ちょっと今日,疲れが若干ピークに達したらしくて、メシ中に居眠りをし出すという失態を犯してしまうことにもなってしまいました。まあ、ここだから正直語りますけど、


 もう、シリアに行きたい。というかシリアに帰りたい。


 最近,モロッコで"観光旅行"をしながら、都市を回っているわけですが、しんどい。一昨日といい、昨日といい,遺跡だとかモザイクだとか色々見ているわけですけれども,それほどおもしろいとは思えないんです。特に,遺跡を見て——要は死んだ街で、かつての足跡を辿れるとはいえ、その街にはもう息づかいがなく、「死んでいる」遺物を、僕らが、何も知らない僕らが蹂躙してあとからの、あとつけの解釈を読んだところで何になるんだろう。何の妄想に浸っているのであろう。まるで感じません。モザイクにしたってそうで、私が京都生まれと言うのも一つの原因なのかもしれないのですが,これも、ただの子供だましで厳かな雰囲気、「重い」雰囲気では圧倒的に我が街の方が勝っていると思います。本気で。それほど京都は素晴らしい,


 逆に,土地の人と絡んでやっていけるのはすごい楽しくて、今日なんか若干2年だけ学んだアラビヤ語と覚えたてのフランス語を使いながら、子供たちとちょっと話して,写真とって、それだけで子供がたくさんはしゃいでよってくるとか、本当にそれだけで楽しすぎる。と思うのです。そんな生きた街にはちゃんと活気があって都市の息づかいがちゃんと聞こえてくる。そんな街の奔流——観光客として、ゲストとしてでしかないのだけれど——に混じって都市と戯れて,一緒になって、その水の成分の,色の、一部を頂く。こんなことは生きている街でしか出来ないわけで,それが、今回蔑ろにされているとはいえ受けられるのが楽しい。


 しかし、やっぱり、こんな「観光旅行」は私には合わないみたいです。だから、本当は今すぐシリアに行きたい。でも、これもまた決まっていることなので、それから何かを得て、私はまた明日へと行きたいと思います。


 モロッコ,ラバトの時刻,ただ今,3/5(月)23:51をお知らせします。