そこ、行ってました。

でかけた場所を淡々とメモ。

変わっちゃいない。

 大學であれ、なんであれ、私が変わったのではない。周りが変わったのだ。やはりそうらしい。いや変わったというのは性格自身ではない。見る目である。多分私には人の見る目を人一倍変えてしまう特性があるのだろう。それは、諦めに似た感情を錯綜させているのではないだろうか。


 それでは拙い。非常に拙い。結果として、私は変わっていないのだ。あるいは、私の第一印象は最悪であると言っても過言ではない。


 技と鋏は使いようだ、という話をご存知かと思うが、私はそれがやはり分かっていないのだろう。非常な個性を持つ分質が悪い。流し方、いなし方を覚えた諸君ならばそれもさして気にはしないだろう。しかし、それではどうあっても初対面の方と正しい関係を構築することは難しい。これから必要だというのに。


 ああ、自己顕示の戦いではないということ。阿呆な私は今にしてようやく分かった。他者への融合力の勝負であること。林秀彦がああも明け透けに語れるのは、彼が色々なものを見聞きして70の幾歳を刻んだからに過ぎない。その間の苦労、精製された想い、だから彼には語る権利が与えられる。


 まだ、私には語る権利は無い。少なくとも、他者の存在を前提として語ることを覚えていない。それができないのなら、語ることは許されない。万城目学が「鴨川ホルモー」をして「自分の書きたいことを書いた」と言わしめているが、前提にあるのは、それまでに書いた何十とも言える「他社の存在を前提として書いた」小説の存在である。そして、彼の書きたかったことが偶然にして時代と一致していたということでしかない。もちろん、作品としては面白いけどね。ただ、技術だけではどうしようも越えられない壁がある。何百の人がそれを越えられずにいるのだ。


 そんな苦労も私はしていない。計らずしも、「割り切っている」という指摘は正しい。それは「(他者からの理解を得られるかどうかは別にして、少なくとも俺はそう思う。他者の思惑を)割り切っている」として、非常に当を得た指摘だ。だからこそ、私は就職を選んだのだ。結局、自らが学ばねばならないことは、そこにこそある。「割り切っては、いけない」その一言に尽きるし、社会生活を学びにいくのだ。これでは、自己顕示のみをして悦に入る学者やオタクどもと何の変わりもない。違いはない。そういう意味では、私は決してオタクから抜け出せていないのだろう。


 できれば、もう少し早く知りたかった。それが出来れば、もう少し去年は変わっていたかもしれない。いや、それは自らが気づかなかった過ちへの罰とそれの赦しだと思いたい。アル・ハムドゥリッラー。これからだ。