そこ、行ってました。

でかけた場所を淡々とメモ。

擁護派にも反駁者にも

 ここ最近、『沈まぬ太陽』を読んでいる。


 「国民航空」という航空会社の暗澹と、苦闘するものや暗躍するものなどの顛末をまとめたお話。一部、御巣鷹山事故という日本航空の事故もテーマに取り上げているけれども。95年に連載が開始され、終了したのが99年。その間のスパンで書かれた作品である。物語の時間設定は71年〜だが。


 さて、この作品のモデルに関して、作品の外部、とりわけ現実世界が揺れているようだ。
小説「沈まぬ太陽」
http://www.jalcrew.jp/jca/public/taiyou/taiyou.htm
http://www.rondan.co.jp/html/ara/jal2/index.html
http://www.rondan.co.jp/html/ara/yowa3/index.html
http://www.geocities.jp/showahistory/history07/60c.html


 おそらく、このあたりが参考になるとおもうのだけれど、この一番下に書いている内容が結構秀逸で

アフリカ篇、会長室篇などの日航内部の労務政策の失敗を告発する内容と、未曾有の惨事とあまたの感動的な人間ドラマを描く御巣鷹篇は本来は別個の系統のもので、この御巣鷹篇を日航の労使対立に絡めてしまったところに、恐らく日航内部の人間の不快感が集中するのだろう。ただ墜落事故の犠牲者の家族の中には日航の企業体質への批判もかなりあった筈で、そうした家族の思いを山崎豊子が救い上げたという側面も否定はできない。しかしやはりアフリカ篇、会長室篇と御巣鷹篇はそれぞれ2本の別個の作品として描くべきではなかったか、とも思う。--http://www.geocities.jp/showahistory/history07/60c.html

 これには結構同感。


 ズバリ言ってしまえば、「恩地元は小倉寛太郎である。」って勝手にモデルを祭りあげてしまっているから、不都合が生じるのであろう。モデルは小倉氏だとしても*1、恩地自身は小倉氏本人ではない。あくまで、小説の中の主人公である恩地である。これは、行天四郎のモデルを誰ひとりとして特定出来ていない(おそらく、いないのだろう)という点からも推察できるように、あくまで『沈まぬ太陽』はフィクションを超えない。


 この話の肝は御巣鷹山事件にあると思う*2。そもそも、『沈まぬ太陽』が書かれたのはまさに御巣鷹山事件を題材に小説を書きたいと山崎氏が思ったからであろう。そのため、御巣鷹山事件を最も効果的に扱う必要があり、それを印象づけるのと、それとはあまり関連がないが問題となる国民航空の内部問題をうまく結びるつけるためには、恩地氏にお世話係になってもらわざるを得なかった。それが現実の小倉氏と乖離してしまったのであるが、あくまで小説の中の主人公であると考えるならば、目くじらを立てることもあるまい。*3


 尤も、『沈まぬ太陽』という虚構が、現実をモデルとして沿う形で展開されているだけに、御巣鷹山事件という「現実」の間がかなり薄く描かれていて、故に国民航空と日本航空の間も混ざり、恩地元と小倉寛太郎も同一視してしまうという誤解を招くのだろう。若干悪意にその誤解を誘導しているという説もあるが、それは数々の見方がされるのは致し方あるまい。現実問題を扱った小説なのであるし。しかし、読者においては、これはあくまで「国民航空」の「恩地元」の小説なのであって、日本航空と小倉寛太郎は、その参考足り得るものかもしれないが、小倉氏のサイドから見たモデルでしかない、ということに強く留意する必要がある。


 この小説ではむしろ、恩地や国見といった邁進する人々、行天のようなうまく立ち回る者、岩合や轟といったやり手、などなどの手法を見れば、おのずから良い行為と悪い行為が見えてくるのだと思う。それに関して、色々思いを張り巡らせる程度でいいのではないだろうかと思う。恩地に肩入れするも良し、行天にスマートさを感じるも良し、岩合に憤りや嘲りを感じるも良し。しかし、それはあくまで小説の中に限るべきである。それは重要である。でなければ、そんなことも分からない人々*4に付け入る隙を与えることになってしまう。


 結論として、恩地≠小倉寛太郎、国民航空≠日本航空であり、あくまでモデルだと留めるべきである。また、御巣鷹山編はむしろ本小説では番外篇として位置づけるのが良い。しかし、それ以外の面においては大いに、国民航空の暗澹と暗躍、それに対する恩地の活躍にカタルシスを感じて良いのだろう。そう考えると、現実にそぐわず大いに問題、というツッコミはお門違いではないか。なお、

少なくとも、リストラに次ぐリストラにもめげずにまじめに働いている多くの日航社員はこの小説を読んでどんな思いに駆られるであろうか。--http://www.rondan.co.jp/html/ara/yowa3/index.html

という指摘もあるが、まさに恩地や和光、沢泉、桜井、三井、島津、志方、岡部といった作中でよく描かれている人々もまた国民航空社員なのだから、もちろんそんないい人々は日航にもたくさんいるはず。俺たちは彼らに、希望を感じていけるよと。そこで、「日航社員=悪」としか捉えていないこの指摘も実に平面的にしか見ていないよね、さすが山崎氏が悪役として登場させるだけある、と言いたくもなるのだが、それは邪推かな。流石に。


 というわけで、明日見に行ってくる。

*1:おそらく、間違いないと思われる。http://www.jca.apc.org/~yyoffice/69OguraKantarou-Owakarenokai.htmより

*2:しかし、御巣鷹山が無くとも十分小説になる点にこの小説のボリュームのデカさにはおそれさえ感じる

*3:小倉氏自身が『沈まぬ太陽』によって驕ったのならば興ざめだが、岩合でもあるまいに……

*4:例えば、この小説の中で悪徳の記者として描かれている某氏とかね