そこ、行ってました。

でかけた場所を淡々とメモ。

中にはいい言葉もたくさんあります。

・#いまの就活を知ってください とか言うのを見ると案の定文句ばかり。「なんで」とか「わからない」とか言ってるだけで、その理由を考えようとしていない。結局、自分起点の視点しか持っていないんだろうね。

・→このタグ見てたら不安を煽る諸就活ビジネスに上手い具合に誘導されて後悔してる人のtweetがあって、結局就活も情弱が痛い目に遭うのだなと思った。

・受験勉強などと違って成果が数値化されないから、どこまで頑張ればいいかわからない。内定が取れるまで際限なく頑張らなければならない切迫感に襲われる。どう頑張れば確実に目標に到達できるかもわからないまま、奔走するしかない。

・このタグに書き込まれている愚痴や弱音に「現実を見ろ」と言う人こそ、現実から目を背けたいだけなんじゃないのか。

・成功した奴より失敗した人の話のほうがためになる。でも多くははそれを認めようとしない。

・面接した時に言われたキツイ言葉。「君に興味はないよ(笑顔ってか笑い声が漏れてる)」 後々聞いてみたら、良い高校・大学から良い人材を拾ってたから、何も取り柄がない私はいらなかったようだ。これから始める人へ。めげたら一回立ち止まるのも手。

・みんなー!このタグで不幸自慢大会がやってるよー!

・俺は自分のESに「猫5匹飼ってます」って書いたら面接官が「君かー!」ってすげぇ食いつきを見せ、その後とんとん拍子に面接クリアして入社。やっぱインパクトが大事かと。

・ちらほらこのタグで「就活生は甘えている」という意見を読む。いいことだ。どーせなら本音でぶつかり合えばいい。採用試験時の企業内のディスカッションでやるような建前のぶつけ合いよりかはよっぽど生産的だし、内定はもらえなくてもこれからの人生の役には立つ

・いかに高学歴でも「人の話を聞く」「わかりやすく話す」「不明な点は質問する」など、基本的な事が出来ない人ばかりです。


 というわけで、キリがないですが、こんなふうに託つだけではダメだよね、というふうに考えている方も多くいて、私もこれには大賛成。嫌になることはいくらでもあることはあるとは思うのだけれど、そして愚痴も言いたくなるだろうけど、ぜひ我慢してやってもらいたいと思うのです。報われないないのは当たり前ー、だって相手も人間だもの。
 ただ、報われないってつらいよね……しかし、いつかどこかで報われる。ひょっとしたら就活の間では報われないかもしれない。でも、その真剣に歩いた足と得た情報は、きっと何かの役には立っていることは間違い無いと思います。


 もう一度言います。大切なものは「運・カン・誠意」これだけです。私はそう思います。

なぜ今の就活はひどいのか

 Twitterより。

#いまの就活を知ってください が酷い。こんな酷い罵詈雑言と愚痴しか言えない奴らの集まりが、今の就活の一グループであるという事実は、今の就活の醜悪ぶりを知らしめる、いい晒し。もちろん、こんなどうしようも無い奴らだけじゃない。というのは強く言っておこう。十把一絡げにされては困る。

 人によっては愕然としたかもしれないし、「こんなひどい事を言う人だと思わなかった」という人もいるだろうと思う。「あーあ、やっぱり社畜になったら性格変わるんだな」とも思われたかもしれない。


 しかし、撤回するつもりはない。


 私は、就活と一生懸命向き合う人は心から支援したいと思う。それこそ、ESとかSPI攻略法とか、何かの役に立てることなら、全力でお手伝いしたいと思っている。何より私が、就職活動の中で色々な経験を積んだし、世間知らずなところ、人の思いに応えることなど、いろいろ矯正された。はっきり言って、就職活動を始めた頃の気持ちでは、とても今の会社で働くことなど出来なかっただろう。それだけ、私は変わることを余儀なくされ、またそれに応えてきた。始めはESの字は汚かったし、格好もだらしがなかった。こんな状態では、誰が評価できるというのだろう……否、とてもちゃんとした人には見えない。

 例えば

真夏の糞暑い盛りにも上着とネクタイの着用は必須

あと今年夏は、冷房の温度高めのところが多くて、結構半袖で来てもいいって書いてあったけど、みんな変わらず黒スーツなのがこわかった。礼儀とかマナーってなんだろうって思った。

 僕のいる会社にも、もちろん色々な業者さんが出入りしていて、顔なじみの営業さんとかも何人かいらっしゃるんだけど、プレゼンの時とか、業者が決定する日とかは、どんなに真夏でもスーツにネクタイをビシッと決めていて、「ああこれがプロか」と思いました。単に契約の確認とか、納品の日とか、契約書取りに来る日とか、たいていの日はカッターとか、少し軽い感じの格好だったりするのだけれど。


 って考えると、真夏の就活でも、スーツ着てビシッと決めたほうがいいというの、何となく分かるでしょ?なお、僕としては別にクールビズでもいいと思うよ。でも、それ相応に見られるよ、とだけは忠告しておこう。ところで、

そして、企業側の人間は、平然とクールビズを着用している。

 まあ、こっちは採用側だし。って言うと反発来そうだけど。こちらはこちらの規程で動いているからな。とはいえ、こっちも値踏みすることはもちろんできる。「あの会社、クールビズで対応したからなしだな」って思ってもいいと思う。でも実際のところ、そんなことは気にならないんじゃないかなあ。


 例えば

コミュニケーション能力という訳のわからん曖昧な能力が重要視される。だから面接で落ちた理由もよくわからない。


 異性に告白して「〇〇さんは、やさしくていい人だと思います」とやんわり振られたこと、ないかな?優しくて良い人なのに、どうして振られるのか、これは「わからない」。それと同じで、所詮人の考えが理路整然として自分に伝わることは稀なのだ。
 更に付け加えれば、異性も「他に好きな人がいるから……」とか「何となく……」とか「友達としてしか見れない」とか、本人自身「よくわからない、けど違う」というふうに思っていることも多い。つまり、あなたが悪いわけではないけれども、ダメ。こういうことは社会の中では日常茶飯事である。


 「運・カン・誠意」が運命を決める、という話をしたことがある。結局、全ては運だけれど、それを最高に引き寄せるために必要なのが、自分の感性と誠意。じゃあ、努力できることは?最低限の誠意。つまりそういうこと。


 例えば、

SPIって何ですか?SPIじゃなくて法律や一般常識や時事問題や日本史や世界史や語学を問うて下さい。大学で何を学んだのでしょうか?SPIを勉強するために大学に入ったわけではありません。

 誰もSPIの勉強してくれ、なんて一言も言ってないし頼んでない。やるのは個人の自由だけど……


 自慢だけど、私はこれまでSPIの勉強を1分たりともしなかったけど、SPIで落とされた企業は一つしかなかった。(唯一F総研に落とされたけれど……あれは誠意が足りなかったいい例だなと反省している)そして、大学時代に最後に受けた企業からは「筆記の試験は良かったんだけどね……」って言われて落とされた。それだけ、SPIには自信があったのだけれど、でもまったく勉強はしていなかった。というより、別に勉強するものじゃないだろうと思うからだ。


 個人の能力の1つとして、論理的思考力がある、推理的思考力がある、一般的な言葉を知っている、というのは気になるところであるし、実際働くことになると、様々な仕事の土台となる。だったら、それが重視されるのは当たり前ー。でも、SPIの攻略法を知っていることは、なんのプラスにもならない。(いや、僕を説得できるようなプラス策を述べてくれれば、それはプラスになるが)し、求めてない。あくまで知りたいことは今上げた能力があるかどうか、その手段としてのSPI。というだけなのだ。



 ……とまあ、読んでいて、「企業側の思考」をまったくわかっていない学生のなんと多いこと。(もっとも、そういう思考が見えなくなっている現状は大いに問題だと思うし、これは企業側にも責任がある)と嘆いたのが一点。あとは

リクルートスーツを着せられるわ、履歴書は写真付きと手書き強要で、修正などで再利用も出来ない。これ以上貧乏人から金を巻き上げる上に、紙の無駄遣いまでさせるんじゃねえやい!

 とかいう、単に暴れたい系の方や(だって公文書に修正液とか使ったらダメじゃん)(でも、個人的にはこの方には電動砂消しゴムもお送りしたい)

今とある地方のメーカーに勤めているが、採用の時は「出身地では差別しません。」と言っていたが結局受かったのは地元出身者とコネ保有者のみ。ふぅん、あっそ。

 という、「結果だけ見るとそうだろうな……」というもの(差別しなかったが、結果的にそれが会社にとって一番都合のいい選択だったからだと思うな。)など。



 ちなみに、一番嫌いなのは「留学できない・卒論に集中できないのは就活のせいだ」という奴。いや、それなら就活しなかったらいいと思うよ。マジで。


 僕の親友は修論に影響するから、って言って、本当に現役時代就活しなかった。で、卒業後、公務員受けて、来年から働くことが決まっている。後輩は留学して、一年遅れてこれから就活だけれど、きっと面白いところに決まるんじゃないかと思っている。僕も、卒論に響くの嫌という理由で、5月の末にあっさり諦めて修士に進んだ。修士の時は後がないって言って半年位勉強サボってたけどね……
 言い訳するぐらいならやればいいと思う。そして、やらないことを選択したのならそれはどうこう言っても愚痴にしか聞こえない。別に愚痴が悪いわけではないけれど、愚痴にしか聞こえないということは覚えておいたほうがいいだろう。



 もひとつ。

ほぼすべての企業が「新卒至上主義」「有資格者至上主義」「経験者至上主義」のどれかにあてはまるしかなくなってるこんな世の中じゃーポイズン!

 だって、企業も人を雇うことは慈善事業じゃないもの。そりゃー、この上の3つがない人は相対的に選びにくいよ。もっとも、それに変わるプライオリティを自分が提案できればいいだけなんだけどね。意外に難しいけれど。

買い占めは存在するのか?

 首都圏を中心に買い占めが話題になっている。


 ここで言う買い占めとは、なんであろうか?わかりやすく考えてみるために、「買う」と「占める」に分けて考えてみよう。まず「占める」。これは多くの人のために用意されているものを自分が占有する行為だと位置づけてみる。例えば、ここにりんごが100個あったとして、これを物不足に悩む50人の人で分ける。この時に、あるひとりが100個全部を持っていったら、いかがだろうか?彼がもしジャイアンで、残り99人ののび太を――って、書いていてシュールだな――全員殴り、そしてジャイアニズムを発揮して占有してしまうとする。さて、この時のジャイアンの活動は糾弾されてしかるべきであろうか?……多くの人が糾弾されるべきだと答えるのではないだろうか。りんご2個もあれば、大抵の人は満足することができる。それをひとりで占有してしまうのはいかがなものか……と。


 では、同じくりんごが100個あったとして、それをゾウ25頭とネズミ25匹で分けることを考える。これを全員に2個ずつ分けたときに、数の面では平等である。ゆえに、占有は起こっていないと言える……だろうか?恐らく、ゾウ1頭に対してりんご2個は少なすぎるし、ネズミ1匹に対してりんご2個は多すぎるだろう。つまり、数を均等に分けたところでそれが即ち占有を逃れるとは限らない。そこで占有とは、身の丈にあった以上の物を集めることによって起こることだと言える。人間では体格も全く変わらないではないか……と見る向きもあるかもしれないが、家族、親戚という存在を考えれば、自ずとある一人の人間が背負っている「体格」というのは違う、ということがわかるだろう。このように「占める」という行為一つをとってみても、単に数合わせだけを見たところで、それがすぐに占める行為を俯瞰できることは限らないとなる。


 次に、「買う」という行為を考えてみよう。買うとは売買契約の一部分を取り出してきた行為である。すなわち、品物を受け取る、その対価を支払う、これが売買契約の根本である。品物を受け取るのにはそれ相応の対価を用意せねばならず、それは質、量の向上に比例するのが一般的である。うまい棒を1本買うためには10円を用意すればいいが、10本買うためには100円を用意する必要がある。(消費税は考えない)これは資本主義の基本でもあり、100円を用意できない者に、うまい棒は10本も与えられないし、逆に100円を用意できた者がうまい棒10本を求めた際には、うまい棒10本を渡さなければならない。しかし、もちろん拒否することも可能である。


 さて、先ほどのりんご100個をスネ夫が全て買ったとしよう。この買う行為自体は何ら問題のない行為である。なぜなら、今「買う」事を考えてきたが、このスネ夫の売買行為は、それ自体を取り出したときにはただの契約に過ぎない。これに、落ち度はない。ここで、「物不足に悩む50人」という具体ケースが表れる。この時に初めて、スネ夫の一連の行為が評価される。しかし、買うことそのものには落ち度がないことを先ほど示した。そこで、占めることに問題があるかと考えるのだが、占める行為が単に数合わせだけで考えられないという話は先ほどした。したがって、単にこの行為だけを取り出してきたところで、買い占めが即不当、ということは言えないのである。


 なぜ買い占めが嫌われるかということであるが、おそらくは倫理的には問題があるように感じられるにもかかわらず、法律としては何ら問題がないという点にあるのだろう。物不足だから、互いに融通しあわねばならない。その協調姿勢を合法的に崩す買い占め行為は、その背景に何があるかはおいておいて、とりあえずは不当!と言いたくなるのだろう。「金にモノを言わせ」などといい、そもそも金銭を操ることが美徳とされない日本では、また自粛ムードに代表されるような協調姿勢を好む日本人にとっては、たとえそれが合法であっても、心情的に許せないものなのだろう。


 さて、次に後編としてそんな嫌われる買い占めは、本当に起こっているのだろうかということを考えてみたい。だって、こんなにも問題ないにもかかわらず嫌われる買い占め行為ですよ。やったら袋叩きにされるんじゃないですかね?なのに、なぜそんな事件が起こっていないのか……というお話。

自分なりに出来たこと。できそうなこと

 この3日間……ツイートの自重。多分大丈夫だと思うけど、鯨が飛ぶとまずいから。そうでなくとも、自分の分が微量でも加われば、鯨は重くなるのかな?不要不急のことしかしていないから、別に自分の行動や意見の表明をしなくていいやと思ったから。拡散ツイートは誰かがやってくれるだろうから。まともな情報はテレビとニコ動、うすとが流してくれるから別にいらないし、安否情報を確認すなら自分がツイートしないことで、わずかでも流れにくく出来ると思った。でも、もともとは単に面倒だっただけだけどね>ツイート。当分の間はリツイートは中止。特に非公式RTとか。


 ニコ動の自重。うすとの自重。その他調べ物の自重。これらも同様の理由にて。このあたりは、恐らく今週いっぱいまでは続ける見込み。


 出す物……まずは、自分の生活を淡々と送ること。余裕があれば、金を出す。ただし無理をしない。最も信頼のおけるのは赤十字か警察。あとはいいや。しかし、身銭を切ってまで出すつもりはない。例えば、今度バイク買うけど、その金を寄付しろとかいう声には、断固として拒否する。モノは基本的に出さない。現地の着るものや食べ物の心配をするなら、それを自分がきちんと使いきればそれで◎。血は多分3ヶ月後ぐらいから大変必要になる。現時点では人手など以ての外(除:自衛隊員、医者、看護師)。人手は多分3年後ぐらいに必要になる。その時にお手伝いする余裕があれば。


 節電……適当にする。無理しない程度にする。幸い60Hz地域の人なので、それに報いる。しかし、いつも通りにする。無理にはしない。怠るとレンホーがくるのでご注意ください。


 その他の自粛……基本的にはしない。少なくとも質素な生活にしない。悼まない。悼む暇があるなら働いて寄付する。しかし、別に寄付しなかった人が蔑まれるいわれはない。もちろん、寄付した人は賞賛に価する。募金してくる、みんなも募金しよう、という呼びかけをするぐらいなら、募金してきたと一言報告するだけでよし。なお、俺はマイルもポイントもありがたく自分の為に使います。鬼畜?何とでも言え。また、便りのないのは良い便りだと断固として信じます。


 寄付控除について、もっと宣伝すればいいのに……


 今後も、ツイートの量は通常の7割程度になることをご理解ください。

通常の7割程度の運転

 無事です。


 虫垂炎の疑いのある腸を患っていますが、何とか快方に向かいつつ有ります。もうあと2~3日点滴、あるいは抗生物質を投与すれば恐らく全快となるでしょう。それ以外には何事も無く、また親戚一同にも何らアクシデントがあったという話は聞きません。こういうカタストロフィに対する引きの良さには自信なり。単に運を拾っているだけだろうけれど、だったらその運はありがたく享受しようという考えの持ち主なので。


 明日から少し九州を見に行ってきます。新燃岳の麓がどのようになっているのか。その他、色々詰め込んだ歴代屈指の好ルートを制作。これは自分でも思う。酷いルートだと。ただ、ツイート数は通常よりも少ない形でお送りしたいと思います。その代わりに旅行記を早い所書かねば……前の分も含めて。危なくなったら安全を確保した後にすみやかに帰宅。

終わるもの。

 あと一週間で一人暮らしも終わる。長かったような短かったような。実家に帰って、生活のリズムはまともになるのだろうけれど、家族とはいえ、そして6年前まで一緒に住んでいたとはいえ、またもとのような共同生活に戻れるかどうか、若干不安である。まあ、仕事を始めることのほうが不安なのだけれど。


 で、臨時駅員の仕事も明日の朝で終了。今日数えていたら、6年4ヶ月と20日。いつの間にか最古参になってしまった。ここまで続くなんて自分でも想像していなかった。よく続いたなと思う反面、続けさせてもらったことに心から感謝したい。これで明日遅刻したら洒落にならんが、まあいろんなところでそう書いているし、大丈夫だろう…おそらく。


 先輩からのアドバイス。いろいろ言ってくれる人を見つけること。仕事にやりがいを見つけること。

運・感・誠意

 この話を少し。


 すべての出来事は、最終的には運で決まります。どうしても、自分でどうすることもできない何かの影響によって作用している面があります。
 ただ、それを出来る限りうまいように引き寄せることはできます。それが感ですね。感性を頼りに、これならば自分はうまくいくんじゃないだろうか、というところを探り当てる勘が威力を発揮するというわけです。それが感。
 そして、感によって引き寄せたチャンスを最大限に活かすときに必要なこと、それが誠意です。誠意を持ってことに当たることで、少なくとも、運で決まるところまでは持っていけます。自分ではどうしようもないところがあるのなら、せめて自分では出来る限りのことをやっておきたいですよね。それが誠意です。


 纏めると、「すべての出来事は運で決まる。しかし、その運を最大限ひらくために感が必要である。また、出来る限りのしておくという誠意が運を拓く。」